太鼓の鼓動/大地の鼓動

今日は生活介護Kakara様でドラムサークル

 

こちらはフリーダムな現場。

 

輪にならずに座って、寝転んで、、という状態で始まる。

 

重度の障がい者さんと一緒にさせていただき、もうすぐ1年が経とうとしていて、回をかさねるごとに、皆さんの集中力が高まっていくのがわかる。

 

無造作に振っているシェーカーのリズムがタイコとシンクロしていくのがわかる。

ベースの鼓動が床を振動させ、利用者さんそれぞれが鼓動を感じているがわかる。

 

タイコの鼓動で、利用者さんの表情が柔らかくなるのがわかる。

トーンチャイムの音色で気持ちが喜んでいるのがわかる。

 

人が人として、あたりまえの温もりを感じながらのコミュニケーションができるこの現場。

僕はムッチャ大好きや。

 

今回は相棒のスミちゃん(どんちゃか村) に加え、三重県からヒデさんが参加してくれました。

 

『障がい』は無い。

”『障がい』は無い” 数年前、ドラムサークルの父、アーサーハルが来日した時に、ある質問で答えたアーサーの言葉。これは考えれば考えるほど深い。

 

今回もスミちゃんのウクレレに合わせ、お名前ソングで始まる

誰が何て名前?っていう他者に注目するところから始めて、

音をリレーして、リズムで繋がり、

自分一人では成しえることができないアンサンブルを構築していった。

 

利用者さん、自分だけの世界に入っているかと思えば、リズムにシンクロしているときもあり、

もちろんシンクロしてないときもあり、

興奮して叩くときもあれば、心が落ち着かせてアンサンブルを楽しんでいるときもあり。

 

言語のない世界で音の波長を捉えて心地よい空間にしている。

 

今回はウィンドチャイムを2つ使用し、利用者さんに鳴らしてもらうというのを試みた。

 

ドラムサークルの最後でスミちゃんの歌、サビが合図で利用者さん、スタッフさんに鳴らしてもらえるように、輪の中を僕とヒデさんがウィンドチャイムを持って走る感じ。

 

ただただ、ウィンドチャイムの音色がキレイで僕は癒されたよ(笑)

 

利用者さんは、僕らに『何かをしてもらおう』ということは思っていないと思う。

僕らも迎えていただいてるという思いで行ってるし、

一緒にリズムで繋がって、一緒に心地よい時間を過ごそうとしているだけである。

 

このナチュラルな関係性が居心地のいい空間を作っている。

ここに『障がい』は何もない。

 

みんな命を使って生きている。

2015年秋分の日、琵琶湖の朝日

僕の生活のメインは、志のある若者達に、

木工職人として関わっている。

 

職人としてはまだまだだし、日々精進の毎日。1日24時間という限られた時間。

 

その中で、ドラムサークルやカホンワークショップ、ほかいろいろをしています。

 

 

 

お金は無くなっても稼いで増やすことはできるが、時間だけは増やすことはできない。

 

人生100年時代とはいえ、紛れもなく、、誰もが限られた時間を1分1秒、命を使って生きている。

 

より良い時間を過ごしても、私欲だけで過ごす時間も、、同じ時間を使っている。

時間を使うということは、命を使ってるということだ。

 

そして目の前の人は二度と会えないかもしれない可能性があるということだ。

 

・・であれば、

何に命を使うのか?

どのように命を使うのか?というのが自分のテーマ。

 

自分の中に何も障害を作らず、『支えている』と同時に『支えられている』というバランスを感じながら、その時々のハーモニーを噛みしめていきたいものだ。

 

ドラムサークルは奥深い。

ドラムサークルは世界の縮図です。